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スタッフの日々の活動についてお伝えするトピックスです。

営業部営業2課 課長 大村 健太 

お客さまのイメージを結晶にする、HARADAチームのハンパナイ戦略的キャッチャー

実は高校球児だった大村さんです。

地元は宇部市の厚南で、高校まで宇部で育ちました。父が少年野球チームの監督だったので、小学校2年生から野球をはじめて、中学高校と野球の日々でした。かなり強いチームで、中学では全国大会へ出場しました。全国から野球の強い子が集まる、広い世界を見たインパクトが強かったです。 ポジションは、キャッチャーでキャプテンでした。父が監督なので、指示を受けてチームワークをよくする、チームをまとめる役割の大切さ、なども教わりました。 キャッチャーは、試合中に唯一チーム全員の「顔が見える」ポジションです。だから、元気のないメンバーに声をかける、自分が落ち込んでいるときも感情をむき出しにせず、明るくバカになる、そのように心がけていましたね。

チームのために自分の感情を抑える…大人ですね。
高校もそのまま野球部で活躍されたのですね。

そうなんですけど、中学2年の時に音楽にも目覚めて、友だちとバンド活動もしていました。自分はボンジョビやディープ・パープルやジミ・ヘンドリックス…親父の世代のロックにはまりました。バンドではGLAYでしたけどね(笑) その頃、JUONのソロデビュー曲がMIZUNOのCMでタイアップになっていて、凄い衝撃を受けたんです。同じ10代ですごい奴がいる!自分もやりたい!と思って、高校へ行かずに東京へ出て音楽の専門学校へ行く道を、自分で調べて探したんです。

今、OUCのアイコンとなっているJUONさんですね!
中学卒業後の進路を自分で探す、というのは独立心が旺盛ですね。

しかし、宇部商からスカウトが来てくれまして、それまでの実力を評価してくれて…そこで「自分の力がどこまで伸びるのか試してみたい」という想いもあり、宇部商野球部、という道を選びました。 野球部は厳しかったですが、1学年上で夏の全国高校野球大会・甲子園に出場した藤田修平さんをはじめ、いい指導者いい先輩いいメンバーに恵まれ、目標に向かって努力した時間は宝物です。2年の時は野球部員としてスタンド応援していて、あの「15回さよならボーグ」に呆然と立ち尽くす体験をしました。 3年の時には腰を悪くしてベンチ。山口県大会の決勝で負け、夏の甲子園出場は叶わなかった。でも試合終了後にコーチから「最後の代打はおまえに行かせたかった」と声をかけられ、号泣しました。自分の努力をちゃんと認めてもらえた、もう悔いはないと思いました。

野球時代はそこで区切り、上京して音楽の道を目指したのでしょうか?

ここから波瀾万丈なのですが、上京して2年ほど住み込みの新聞配達をしながらバンド活動を模索しました。20歳ごろ、居酒屋の店長にスカウトされ、三軒茶屋で居酒屋を任されることに。場所柄お客さんにはミュージシャンやベンチャー起業家なども多く、そこで、なんと大好きだったJUONさんもお客様でこられて。それからご縁ができてずっと仲良くさせていただいていました(OUC×JUONはこのご縁から実現しました) 2004年、お客さまからYahoo社員採用という思いがけない話をいただき、1度、大きな舞台で勝負をしてみたいという気持ちになってYahooで企画広告やHP製作の営業をすることになりました。

ベンチャー企業だった頃のYahooですか!
野球や音楽とは全く違う世界ですが、そこで何のスキルを身につけたのでしょうか?

独学でHPを作るのは好きだったのです。会社にはプロフェッショナルチームがあって、そのスキルを勉強しました。それよりも、会社自体が何かをやろう、独創的に自分たちでどんどん仕事を生みだそう、という意欲的な人が何千人もいて、上下関係無く自由闊達に仕事をしていました。リーマンショック前、ITバブル、の時代もあって、「イケイケ」の時代でした。 自分は、目に見えないアイディアや理想をかたちにし、プランを作り上げていく…「イメージの可視化」に面白さとやりがいを強く感じていました。

最先端のビジネスシーンで活躍後、山口へ帰ってこられたのは?

30歳前にUターンし、力がついたので自分でできるだろうとHP製作やネット広告の仕事をはじめました。自分で営業をしたり知人のツテを紹介してもらったり、友人と会社を立ち上げたり…しかし、ここで、痛い思いをするのです。全くうまくいかなくて、結局2年ぐらいで挫折を味わいました。

東京のノウハウを展開しようとして挫折した、その原因は何だったのでしょう?

慢心があったというか、天狗になっていた。東京で週に億単位の金額を動かしたとか、大きな会社にいた、とかいうのを「自分の力」だと勘違いしていました。それはあくまでも「看板の力」で、自身の真の実力ではなかった。 地元のお客さまは、ここで生きている。それを謙虚に真剣に受け止めて、独りよがりではなく、仲間とともに応える力が必要なのだと痛感しました。

そこでHARADAに入社されるのですね。
それはどのようなきっかけだったのでしょうか?

たまたま、HARADAのHPとFacebookを見たのです。そこで、ユニフォームだけではなく色々なことを展開する、情報発信力のインパクトに興味を持ちました。すぐに「会ってみたい!」と思い、アポイントを取りました。

インパクトのある魅力とはどのような部分だったのでしょうか?

45周年という節目で盛り上がっていて、デロリアンに乗っていて楽しそうだった(笑)会社に遊び心があるなと感じました。トップダウンで仕事をやらされているのではなく、社員全体が主体性を持って仕事をしている、と思いました。 最初に木村部長とお会いしてネットでの展開、ブルブロスのブランド構成などをうかがいました。ほどなく原田社長が同席され、東京オフィスの設立やこれからのブランディング戦略などの展望をお話しくださいました。2〜3時間じっくりと。ホワイトボードに次々とチャートや分析図式を書かれていって、「社長の頭の中の構想と、行動計画」がそのまま見えるようでした。それを絵空事にしない行動力とそのパワーを強く感じました。そして今思うと、そこで語られた項目は着々と実行・実現されているのです。 自分も東京のベンチャー企業の世界を知っているので、これは仕事ができると。そしてこの場で、入社を決めました。

2017年4月に入社してから、どのように仕事に取り込まれていますか?

入社しての第一印象は「HARADAチーム力すごいな!」です。 Uターン営業時代は、何もかも自分ひとりで情報収集して企画して全部自分で決めていました。HARADAでは、仲間がいて頼れるし助け合うことでチームの力になる。みんながいるから、自分は営業に行ける。だから、慢心せず、感謝を持って謙虚に仕事に向かっています。それが大きな違いです。

「HARADAのチーム力、半端ナイって!」と。それはどんな部分でしょう?

自分の得意な仕事は、変わらず「お客さまのイメージをかたちにする」ことです。キャッチボールをしながら、ノベルティでもOUCでも、無から有を創造することです。そこで、アイディアやイメージをきちんと具体的な「モノ」に落とし込める、素材や技術を駆使してデザインすることができるデザイナーがちゃんといる、これってすごいことです。営業とデザイン現場が価値観を共有し、コミュニケーションがスムーズだからこそ、できることなんです。

では、反対にHARADAで変革したいことや取り組みたい課題などはありますか?

これは人それぞれのスタイルの部分もありますが、私は「納品する」という概念が入ってこなかった。今でも…。

「納品の概念がない」とはどのようなことでしょうか…?

商品を「持参して納品する」というプロセスです。そこに手間をかけるよりも、送料をいただいて業者発送での納品にさせていただくよう、私のお客さまにはお話ししてご理解いただいています。担当するエリアは県外もありますので、持参で納品となると1日潰れ、双方に時間のロスが大きい。お客さまにとって最も重要なのは「早くにきちんと商品が届くこと」です。宅配業者ですと時間指定もできますので、そこはプロにまかせて、私はその時間で自分のやるべき企画や新規開拓をしたほうがいい。このような効率化はどんどん進めてもいいのではないかと思っています。

なるほど。やるべき効率化はすすめていく、ということですね。
これからHARADAではどのような仕事をしていきたいですか?

今はまず、OUCです。お客さま一社一社のニーズに丁寧にお応えして、最高にご満足いただける個性あるユニフォームを実現することを、足元から一歩ずつ積み上げていきたいですね。 そして、これからの展望としては、1人でも多くHARADAを知ってもらい、いろいろな会社や人にお目にかかっていきたい。感謝を忘れずに、いい出会いを作りたいと考えています。

では、恒例のプライベートの質問です。休日はどのように過ごしていますか?

宇部の実家の山の草刈りと、ジムでトレーニング。友人が集まって七輪を出してホルモン焼き、ギターで楽しむ…こんな感じです(笑)

ご自分を動物にたとえるとなんでしょうか?

犬ですね。戌年ですし(笑)それもどちらかといえば野良犬とか野犬とか。いい意味で、常に歩いて自分の人生を探すとか新しい出会いを求めるとか、そういうところがあると思います。

最後の質問です。ご自分をHARADAの商品にたとえるとなんでしょうか?

「耳栓」にします。 昔から、「自分は自分、人は人」と教えられてきました。小学校の時、周りの友だちは新しいグローブを買ってもらっていたのに、自分は買ってもらえなかったことがあって。親からその言葉を言われました。それでも全く野球には問題なかった。だから今も、人とは切りはなして自分に集中できるところがあります。もちろん、人の意見はちゃんと聴きます! でも自分にブレないことも大切だと思っています。



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