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スタッフの日々の活動についてお伝えするトピックスです。

本社営業課 営業 梶原 啓

「自立」から「自律」へ進化した「キュートなトラ」型イクメン営業マン

いつも元気な梶原さんですが、子供時代から元気で明るいキャラでしたか?

1986年、広島県尾道市生まれ尾道育ちです。小さいころはまさに「悪ガキ」でした。流行っているゲームよりも、メンコやサッカーやけん玉で遊び、ケンカをしては先生や親に怒られて…まるで「昭和の子供」ですね。父がなく祖父母と母と姉という家族構成でしたが、のびのびとしていましたね。小学校6年生の時、山口市に引っ越しました。最初は方言が違うので反発がありましたが、わずか2日後にはみんなと仲良く遊んでいました(笑)。

天性のコミュニケーション能力の高さ! コツはなんでしょう!?

僕は昔から「表面で仲良くしなきゃいけない」と思わないんですよ。素のままをさらけ出して、ぶつかることで仲良くなればいいと思っているんです。あと、常々「人を楽しませる」ことが何よりも好きなのです。トレーシングペーパーに人気キャラクターを写して描いて学校へ行くと、みんなが喜んでくれて大人気になりました。そうなると家に帰って、宿題よりもその絵を描くことに没頭するんです。自分のしたい事しかしないんだけど、不思議とそれは「人の喜ぶこと」なんですよね。

そのまま中高生でものびのびと、好きなことに突き進んだのでしょうか?

中学になると、ちょっと親との関係や人間関係などで悩むことも出てきました。小学生からサッカーに夢中でユースに入ろうかと思っていたのですが、母親に「プロなんて絶対なれない」といわれてしまったりね。それからは、その日その日を懸命に、自分の居場所をつくっていたように思います。友達も分け隔てなくどのグループとも仲良くなり、みんなをまとめるムードメーカーのようなポジションでしたね。後から聞いたのですが、実は女子に私のファンクラブがあったって…その時言ってよ! って思いますよね(笑)高校は実は、2年の中頃で退学しているんです。でも、山口高校の通信で単位をとれば卒業資格が獲得できると言うことで、昼間はバイトして夜に課題に取り組み、無事にみんなと同じ3年で卒業しました。卒業後はハローワークで木材会社を見つけ、美術館のイベント設営や商業施設の店舗やイベント什器の施工現場管理という仕事につきました。

HARADAとの出会いはまだなのですね。前職で学んだことは今に生きていますか?

もちろんです! ワークウエアや道具などが使われるリアルな現場をしっかりみていますから。それに、1つの設営に関わる様々な仕事、技術、人間…を知ることができました。クロス張り、電気工事、左官工事…みんなプロフェッショナルな職人です。「教えてください!」と食いついて、様々な知識や技術を教えてもらいました。その次には自分でやりたくなり、別の現場で自分の手で確かめたりもしました。母譲りで手仕事や手作業が得意ですし、自分の技術を高めるのも好きなんです。

まだ20歳前後、ベテラン職人を調整する世界は大変だったのでは?

だからこそ「知らないことは教えてもらう」「ごまかさない」「素直」「うそはつかない」ことが大切です。そして、知識と技術の両方をバランスよく身につけること。多くの業者が関わり、工程の日程調節や人間関係などコミュニケーションが難しい場面がよくありました。たとえばコンセントがここにほしいといっても無理な場合がある。日数を急いでといってもできないことがある。それは何故か、何が必要なのか、自分で動き自分で見て知っていると次の対応や解決策につながります。実際に手を動かせないと生きた知識にならないし、技術だけでは柔軟な対応ができないんです。

若くても、技術と知識をつければ立ち向かえるということですか?

あとは「決断力」「自立心」ですね。会社が「自分で判断する」裁量を広く認める社風だった事はラッキーでした。思えば自分は、幼稚園の頃からひとりで市バスに乗って園に通ったり、小学生の時に家から離れたショッピングセンターから5時間もかけて歩いて帰ったり、「自立する」場面が多かったですね。

幼少期から「自立心」が鍛えられたのですね(笑)HARADAへの道は…?

まだ波瀾万丈は続きます(笑)。社会に出て4年ほどたって、母が病気で入院しました。病床の母の「もっと勉強させてあげたかった」という言葉を初めてきいて、一念発起して会社を辞め、専門学校に入学します。昼はコンピューターや簿記などを勉強し、夜は居酒屋でバイトをして母の病室で勉強するという生活でした。母は亡くなる少し前、声も出にくかった時に、僕に向かって一言、「がんばれ」といったんです。そのことばは、僕にとって大きな転機になりました。母が亡くなって、僕はできるだけ多くの資格をとることに集中しました。学校でもかなりいい成績だったと思います。学校からの勧めもあり参加した会社説明会でHARADAに出会い、2012年入社することになりました。

HARADAの最初の印象はいかがでしたか?

面白そうで、普通の会社とは違う雰囲気でした。選考段階でのグループワークの場面でも、社員の人がアドバイザーでたくさん関わり、楽しそうなのがみてとれたんです。最初に内定をいただいた時も迷いはなかったです。

5年間入社されてからずっと営業畑ですが、それは希望されたのでしょうか?

いえ、未経験だったのですが「もうやるしかない」と思いました。「この会社で何を残せるか」というチャレンジだ、と思いましたね。最初は引き継いだお客さまとのパイプを自分なりに太くしていくことに集中しました。ここでも、「知らないことは教えてもらう」「ごまかさない」「素直」「うそはつかない」でした。それでパイプが太くなったように思います。営業部の権代課長からは「自分流でやった方が合っていると思ったから」とほぼ放置プレイでした(笑)。本当かなあ(笑)でも、自分で考えて動いたことがよかったです。人間、主体性をもって自ら動くことは面白いですが、言われて強制でやらされることは面白くないですよね。

柱になる信念の他に、ご自分の営業スタイルの特長はなんでしょう?

「買ってくれ」ではなく、「お役に立てることで喜んでいただく」ということですね。売上にとらわれすぎると自己中心になってしまいます。あくまでも「お客さまと仲良くなる」「知識を身につける」「場に慣れて柔軟に対応する」という軸をぶらさずに誠意をつくすことだと思います。

「仕事の速さ・手際の良さ」を感じますが、時間の使い方など、心がけていることは?

物事には無駄な事などないと思うのですが、やはり時間には限りがあります。時間をかけたいものにじっくりかけられるように、効率を考えます。石橋を叩いて渡る事も大切ですが、今は「石橋を叩いて割れる前に全速力」かな(笑)。「スピーディー&スマート」も心がけていますね。あとは、まず自分の手で作業をしてみて内容や効率を知ると、人に頼む時もプランしやすくなります。何もかも最初から効率重視で丸投げ、にはしないですね。

時間管理だけではなくプロセスも「自立的」、昔ながらですね。

実は誰にも秘密なのですけど(笑)、「自分だけの営業目標」を作っているんです。自分だけの新規獲得数や売上目標を決めて、それを毎回達成しています。引き継ぎのお客さまを守るのは当たり前でしょう? それ以上に「自分の業績」をつくって、会社の中で自分が役に立ったと、誰に褒められなくても自分を認めてあげたいんです(笑)

自身を認めハードルをつくる、それは「自律」という姿勢ですね。 今後の目標は?

とりあえず、HARADAを日本一、いや世界一にしたいですね。この会社は原田社長をはじめ、キャラクターの強い個性的で優秀な人材が集まっています。僕も入社して5年、まわりには自分自身には足りていない部分を持っている方ばかりなので、まだまだ学ぶことばかりです。

ではプライベートの事を少し。休日はどうしておられますか?

子供と遊んでいます。9歳、8歳、2歳、0歳という子供達で上3人が男の子なのでいつも大変です。末っ子がまだ赤ちゃんなので妻は大変な時期ですし。普段の日も、保育園の送迎は僕の役目で、会社は支援してくれていますよ。あとは料理もよくしますし、社会人サッカーリーグにも入っています。

HARADAはイクメン支援の会社なのですね!!具体的には?

保育園の送迎時間に合わせて出退社の時間を調整してもらっています。社長をはじめ、全員の風通しの良さや人間関係があればこそだと思います。

では、恒例の“ご自分を動物にたとえると?”

寅年なのもあって、トラですね。猛獣って、実は寂しがり屋らしいのですが、そんなところも自分に似ているかも。獲物を見つけた時と怒った時に「取扱注意」になるのは、社長以下みなさんが指摘されるところです(笑)

最後に、HARADAの商品にたとえるとなんでしょうか?

「高視認性衣服」にします。丈夫、安全、まず目立つ! 僕もいろいろな意味で「すぐわかる」「目立つ」とよく言われるので。営業としてはとてもありがたい特徴だと思ってます。でも「目立つトラ」だと怖がって人が寄って来ませんね、僕は「目立ってかわいいトラキャラ」でいきたいです!(笑)



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