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スタッフの日々の活動についてお伝えするトピックスです。

周南営業課営業 林 志保美

いつもきこえた「がんばれ」の愛が HARADAにはある。それが「仲間」。

入社4年目ということですが、学生のような林さん。どんな子供でしたか?

よくフレッシュマンに間違えられます(笑) 生まれたのは周南市で山口市に引っ越しましたが小学校3年でまた周南市へ戻りました。一人っ子で典型的な甘えっ子タイプでした。

小さいころの夢は何でしたか?

お花屋さん…とかいうと女子っぽいですが実は違って、科学者になりたかったんです。小さいころから宇宙の果てについて考えていて、母に「宇宙がどこまであるか発見してお母さんだけに教えてあげるね」と約束してました(笑)自分の世界が広がるタイプだったのでしょうか、夜中から急にビーズのアクセサリーを一生懸命作ったり…あと、ジブリ、特に『となりのトトロ』はどっぷりと世界に入りました。今でも『トトロ』を見ると泣いてしまいます。

では内向的な女の子だったのでしょうか…?

その反対で、とても目立ちたがりで積極的、自分の意見をストレートにいうタイプでした。でも中学校くらいになると、そんなキャラは結構叩かれましたね…特に女子に(笑)。あまり気にする方ではなかったですが、大きくなるにつれてちょっと人の顔色を見るようになりました。

中学高校で熱中したことは?

中学校で吹奏楽部に入りまして、2つ上の素敵な先輩に憧れて、一生懸命がんばって、中学3年生の時に全国大会で銀賞になったんです! こうなったらあとひとつ! 高校で金賞を取りたい! という思いが強くなって、高校は吹奏楽に力を入れている島根県の高校へ入学し、寮に入りました。

一人っ子で甘えん坊だった林さんが、高校で親元を離れるのは大変だったのでは…?

でもその時は自分のやりたいことを突き進みたい一心でした。両親も「あなたがやりたいことだからどこまでも応援するよ」といってくれました。吹奏楽って厳しい体育会系なんですよ。先輩後輩の規律は厳しいし先生は絶対、練習も朝から晩までスパルタで軍隊のように徹底的。一度、本当に辛くなって母への電話で泣きじゃくったことがありました…翌日、母は石見まできてくれて、ふたりでカラオケに行き、母が『栄光の架け橋』(ゆず)を泣きながら歌ってくれたんです。歌詞がピッタリすぎて、一緒に大泣きしました。高校での成績は、1年の時は県大会で落ちてしまって…あまりのショックに気を失って救急車で運ばれました。今でも、その時の仲間で集まったら「3年生に本当に申し訳ないことをした」という話題になります。

厳しい吹奏楽の世界でトップを目指していたのですね…

とにかく目標を達成して結果を出したかった。2年では全国大会で銅賞、いよいよ3年では優勝を、と県大会も勝ち上がり、栄光への架け橋を上り詰めるムードだったんです…しかし全国大会では入賞できませんでした。その時しみじみ、世の中の厳しさをかみしめました。

情熱と挫折の経験から、どのようにして「HARADA」に繋がっていくのでしょう?

はい、情熱を共有した人間関係、練習量あればこその自信、地域との関わり、エンターテイメント精神など、この経験は宝物です。でも吹奏楽の世界ではもうやれることを全部やった気がして、ちょっとゆっくり実家の山口に帰りたい、と思いました。両親の勧めもあって「2年間は吹奏楽以外で思いっきりやりたいことをやろう」と、デザイン関係の専門学校に入学しました。

小さいころから手を動かすことはお好きだったんですね

同級生にはプロのように上手に描く子たちもたくさんいました。実は、自分は絵が下手なんです。でも「BAYAYA」というブランドをつくって、何か人を励ますような…「バヤヤがんばれ」というメッセージが発信できるような世界を作りたいなと思い始めました。バヤヤは私の渾名で、「バヤヤがんばれ」は、私が落ち込んでいる時に体育の先生がかけてくれた言葉なんです。

絵の上手い下手ではなくて、「自分の想い」の表現だったんですね

学校の先生も「あなたはそれでつきすすみなさい」と認めてくれて、自分の世界をどんどんかたちにすることができるようになりました。学校の課題で徳山動物園のリニューアルポスター制作で、最優秀賞をいただくこともできました。

HARADAとの出会いはそのようなデザインの世界から?

2年生の時に母と一緒に周南店のプリントマーケットに来まして、当時周南店の店長だった國冨課長に「就活中なんです、お願いします!」と…母が(笑)しかも2回も(笑)でもそこで、それなら話を聞いてみましょうと門戸を開けていただいて、ご縁をいただきました。最終の社長面接では「渡辺謙が目の前にいる!」と思いました(笑)緊張しましたが、吹奏楽で鍛えられた根性と礼儀、専門学校で自信になった自分の世界の表現、をアピールしました。

入社後の配属とお仕事はなんでしょう?

周南ショップ担当となりました。最初は怖くてドキドキしていましたが、お客さまはきさくで親切な方が多いのが驚きでした。商品についても、知らないモノは思い切ってお客さまに「これはどのような時に使うのですか?」と聞いてみるのです。すると、とても丁寧に教えてくださるんです。あと、「ありがとう」といってくださるお客さまも多いのです。 知識はもちろんスタッフの先輩に教えていただきますが、そうやってお客さまにかわいがっていただいたことも励みになりました。

現在は営業職ですが、違いはありますか?

昨年の8月から営業職に変わりました。お客さまにきく、お客さまにかわいがられる、お客さまの役に立つ…根本的にはショップの時と大切な事は同じだと思っています。 先日、お客さまへのお届け物をしたかったのですが、腰を痛めていたのでお詫びのお手紙を添えて送付させていただきました。すると「大丈夫?!」とすぐお電話をいただきました。本当にありがたく、嬉しかったです。

今までで辛かったことや困ったことなどはありましたか?

そうですね…実は、ショップ時代に人間関係で悩みました。店長、社員スタッフ、アルバイトやパートのスタッフさん、という構成の中で自分の役割やできること、やらなくてはならないこと…がうまく消化できずに行き詰まってしまいました。そこでもう退職しようと考えました。

そこで辞めずに心機一転がんばるようになったのは…?

自分では辞めようと思っていた時に、中嶋専務が相談に乗ってくださいました。そして「あなたは絶対営業に向いていると僕は思う!!」といわれました。その時、「ここで辞めるのは簡単だけど、声をかけてくれる仲間がいるのなら、困難な道を選んだ方がいい」と思ったんです。

「バヤヤがんばれ」といってくれる人が、HARADAにもいたのですね!

もちろん、中嶋専務だけではなくて、たとえば私が落ち込んでいると営業の河野さんが後ろでに「ガンバレ〜ガンバレ〜」と小さな声で歌を歌ってくれるんです(笑)思わず笑ってしまいます!女性陣も仲良しで、先輩達と一緒に休日遊びに行ったりランチに行ったり…こういうのって私、テレビドラマの中だけだと思っていました(笑)國冨課長は、私のいいところを的確に認めてくださって指摘してくださいます。そうやって、自分で自分のいいところを認められるようになるのは、本当に幸せなことだと思います。

HARADAは「ファミリー」だといわれるポイントですね

正直、働くのに一番大切なのは、私は「人間関係」だと思っています。HARADAは「ただ優しい」のではなくて、「仲間」なんです。ダメなことはダメという。でもみんなでがんばろうと思いやる。社会人になって、私は國冨課長から「人を大切にしないといけない」ことを教わりました。思えば、いつの時代も、私は「大切にされて」「誰かにいつも励まされて支えられて」がんばれたように思います。後輩も増えてきていますし、今度は私がそれを後輩に伝えたいと思います。

今後、どのような仕事をしたいですか?HARADAでの夢はありますか?

BAYAYAブランド立ち上げは、自分の趣味の範囲で(笑)今は、現在のお客さまを大切に精一杯仕事していきたいですね。とにかくスタッフも、お客さまも、みんなブラックとは正反対の「ピュアホワイト」と思えるぐらい、いい人に恵まれているんです。だからがんばれる気がします!

すこしプライベートのご質問を。休日は何をされていますか?

先ほどもお話ししましたけど、女性の先輩ととっても仲良くて、ボルタリングとか、防府の猫カフェに行きました! とても癒されるますよ〜! あとは母と温泉に行ったり、高校時代の吹奏楽仲間で集まって吹いたりしています。自由に吹けるのも、とっても楽しいんです。

では、ご自分を動物にたとえると…猫?

いわれるのはミーアキャットとか、小動物かな(笑)急に立ち上がってキョロキョロしたりちょこまかするのが似ているらしいです(笑)

最後の質問です、ご自分をHARADAの商品やユニフォームにたとえると何でしょう?

蛍光色の入っている安全ベスト! 工事や現場などでお客さまや関係の方々の命を守る大切な役割です。「私はここだよ!」と、お役に立つ情報の発信源でいたいです。それに、目立ちたがり屋だし(笑)



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