お問い合わせ
0835-38-0697

スタッフの日々の活動についてお伝えするトピックスです。

周南営業課営業 河野 靖文

「背中」で営業と生きざまを伝え「正面」で笑いと元気を生みだす。

一見コワモテ、でも笑顔がキュートな河野さん。入社までの道のりは?

昭和38年に防府の徳地に近い地区で生まれまして、高校まで故郷で暮らしました。友達と田んぼで野球をして遊ぶ、本当にのんびりとした子供時代でした。昭和40年代、今のNHK朝ドラ(「ひよっこ」)そのままでしたね。高校は自転車で50分かかる高校へ毎日通いました。そして、大学進学で、関東へ上京しました。

子供時代に熱中したことは何でしょう?

実は、中学高校時代は洋楽、ロック少年だったんです。特にイギリスのクイーンが大好きでした。洋楽を流すラジオをきいて、雑誌を買って情報収集して。1979年に山口市の体育館にクイーンが来日公演したのも行きました!本当にのんびりした田舎の中では、全く別次元の夢のような洋楽の世界でした。田舎だから、大音量でロックを聴いてもだれも文句が出なかったのはよかったですけどね(笑)

では大学はその洋楽の世界に近づくために…?

そのためではないです(笑) 高校卒業して就職も考えたのですが、とりあえずもう少し広い世界を見た方がいいと思い、関東の大学へ進みました。確かにコンサートとかは都会の方がたくさんありましたが、環境が変わると他にも興味が広がっていきましたね。

では大学時代は何に熱中されたのでしょう?

バイクです。東京の大学に進んだ、と思ったんだけど実はキャンパスが埼玉の熊谷で(笑)友人がみんな夏休みにバイクの免許を取っていたので自分も免許を取ってバイクに乗るようになりました。仲間とよく軽井沢や長野、富士山などにツーリングに行きました。里帰りもバイクとフェリーでしたね。今思うと、学校の同年代友人だけではなくバイク繋がりで知り合った全国あちこちの人と話せるようになっていました。高校までは田舎の小さな社会で全てが完結していましたが、全く知らない世界の人との交流は一気に世界を広げました。それからの自分にとって大きな力になったと思います。

卒業されて就職はどのような選択をされたのですか?

4年間関東で過ごしましたが、自分には東京は「仕事をして暮らす町ではない」と感じていました。満員電車や人の多さ…が毎日続くかと思うと、それは考えられなかった。一人っ子で家を継ぐことも考えていましたので、山口で仕事をして暮らしていこうと地元の企業に就職しました。

地に足のついた生活が性に合っていたのですね。その後のお仕事は?

最初の会社では営業でしたが、入社してみると内情がわかり比較的に短い期間で退社してしまいました。それでどうしようかというという時に…学生時代からの友人がこちらの自動車販売会社に入社していまして、その会社のトップ営業マンが、当社の中嶋専務だったのです。昔からとっても面倒見のいい方で、以前からその友人を通して私もとても可愛がってもらっていました。そこで、「実は就活しているのだけど入社させてください」と話をしました。

運命の出会いだったのですね!?

そこで採用されて、カーディーラーの営業としてスタートしました。最初は大変でした。当時は営業研修などなく、「上司先輩をみて覚える」毎日でした。先輩にも「とにかく猿まねでもいいから、よく見てマネをして覚えていけ」といわれました。電話の応対の仕方、顧客の探し方、コミュニケーションのとりかた…など、まず「型から」入るのです。それが身につき結果が出ると、自信に繋がっていくんです。そうやって営業スキルをつけていきました。中嶋専務は私が入社して1年でHARADAに転職されたので、ほとんど一緒にはお仕事ができなかったのですが、4年間自分なりにがんばりました。ただ、思うところがあり、その会社も後にすることになりました。

そして中嶋専務の後を追ってHARADAへこられたのですか?

いえそう簡単にはいきません(笑)。退社と共に営業職にもちょっと意欲がなくなり、「人と会うよりも植物相手に仕事をしたい」と、園芸関係の会社に入社して店舗で働くことになりました。

植物に向かわれて、クールダウンする機会になったのでしょうか。

そのつもりでした(笑)。確かに店舗スタッフは「待ち」の仕事で、植物のお世話や仕入れ搬入などは今までとは違いました。でも、しばらくたつと、営業の仕事が恋しくなってきたんですね。自分の足で動き回ってお客さまと交渉していく自由度の高さが懐かしく、それが楽しくて生き生きと働く自分を思い出しました。それに、待ちの仕事でも結局は営業と同じ「お客さまとのコミュニケーション」だと気付いたのです。そこで、HARADAの門を叩くことにしました。それが29歳の時でした。

HARADAまで紆余曲折だったのですね。そのご経験は活かされていますか?

もちろんです。20代の頃このように色々な仕事や世界を見て回ったことになりますが、これらは全部活きていると思います。まず、自動車販売で培った営業スキルは、苦労した分自分の血肉になっていると思います。たとえば「笑顔で話す」「言ってはいけないことを感じる」とか…素の自分自身ではなかなか難しいですよ。人に会ったらスイッチが入って、別人格になって知らず知らずにやっている。もしかしたら二重人格かもしれない(笑)

経験値がスキルになって覚醒!ですね。HARADAの営業と今までとの違いは?

それはないと思います。自動車販売はBtoCが多く、HARADAのユニフォーム営業はBtoBという部分もありますが、やはり「結局は人」なのです。先方が企業でも結局は人と会って仕事が生まれるのだと思います。これも園芸会社での気づきでした。

営業職の面白さとは?若い営業マンに教えたいことはありますか?

営業とは、自分自身が創り上げるということです。人間ひとり一人の個性が違うように、ひとり一人に違うスタイルがあります。例えば中嶋専務は伝説の営業マンですが、私は私のスタイルがあって、全く同じではありません。でも、最初は「まね」。「かたち」を「盗む」ことからはじまるのです。自分が成長して自分のスタイルだ、と言えるまでは、時間がかかるかもしれませんがどんどん盗んでまねして身につけていくことが大切です。今の若い人には、あえて「俺の背中を見ろ、そして盗め」と言いたいですね。「いつまでも教えてもらうと成長しないよ」、という言葉を伝えたいです(笑)

入社24年、HARADAの歴史を作り見てこられて、会社の変化は感じていますか?

私が入社した時は周南営業所も移転前(動物園の近く)で、営業マンは4人でした。苦労を苦労と思わないというか、それぞれが自分の力でがんばりながら全員で「地域ナンバーワンにしよう」と一生懸命でした。それでも、売上金額が大台(10億円)にのるのはなかなか難しい壁があって、10年かかりました。これからもとどまらず、大きく成長していきたいと思います。商圏も、大幅に広げて行けたらと思いますね。それと同時に、HARADAの歴史や創業の精神などはしっかりと後輩に伝えていきたいと思います。元々は先代社長が軍手の行商をして信頼を培ってきたこと、みんなが熱血でカラオケになるとバトルになること…(笑)

HARADAだからこその空気や文化。ファミリー的な企業である事も魅力です。

若い者から年配まで、仲がいいんです。私はとにかく、笑いの絶えない会社にしたいんです。仲間が楽しく働くには、いつも笑っていること。これが力になります。いつもそのことを考えています(笑)最近ちょっとジェネレーションギャップも感じますけどね。昔は私に、笑いの神様がしょっちゅう降りてきましたね(笑)

HARADAファミリーを創り上げてきたお一人の河野さん、プライベートの様子は?

春夏はほとんど、実家の田畑の手入れや草刈り等です。最近では「朝活」で草刈りをして、昼から愛車のハーレーダビッドソンでツーリング。ツーリング仲間で遠出をすることもありますね。趣味の人脈では仕事の話は一切出しませんが、営業に行ったら先方がツーリング仲間だった、ということもあったりして面白いですよ(笑)あとは、カープファンなので、カープの応援です!

恒例の質問ですが、ご自分を動物にたとえるとなんでしょうか?

ウサギです! 実は寂しがり屋で「かまちょ」(かまってほしい人)なんですよ。外見とのギャップがあるでしょう(笑)

可愛らしいところはぴったりです! では商品やユニフォームにたとえるとしたら?

縁の下の力持ちなので、目立たないもので身を守るもの、というのがいいですね。「これがあったら絶対怪我はしない、大丈夫!」というようなものですね。ヘルメットとか手袋はどうでしょうか。特に手袋は創業の原点でもありますし、今では本当に多様化・進化していて、私もHARADAに入社して初めて、こんなに種類があるのかと驚きました。色形素材が用途によって使い分けられているのと同時に、お客さまにとっては「手にはめた感触」が大きいのです。しっくりくると安心して仕事がとてもはかどりますが、ちょっとでも違和感があると「これは違う」と仕事にならない。そういう意味でも、本当に奥が深い世界ですよ。



過去の記事