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スタッフの日々の活動についてお伝えするトピックスです。

管理部課長 重冨 直樹

「最大限のしあわせが実現する最良の道」を的確にはじき出すMR.クール

途中採用で入社して2年目の重冨さん、小さいころのことをお聞かせください。

1977年、防府生まれで防府育ちです。小さいころは、自分の好きなものに対してこだわりが強かったらしいです(笑)。ミニカーが大好きで、ほしいミニカーの前で、買ってくれるまでずっとねばりつづけていたようです。ビデオで残っているのですが、次のシーンではニコニコ顔でそのミニカーを手にしているので、成功していたんですね。自分はまったく覚えていませんけど(笑)。ダンボールにいっぱいのミニカーを集めていましたね。小学校の低学年ごろは活発なスポーツ少年だったのですが、高学年に入って転校などもあり、環境の変化のせいかとても太ったんです。そうするとインドア派になって。ゲームばっかりやっていました。

中学高校時代はインドア派で…?

中学校入学を機に、太っている自分が嫌で、これではいけないと自分を変えることにしました。父親がバスケットボールをしていたことで興味を持って、バスケット部に入部して、中高はバスケット一色でした。当時はスポ根時代だったので、今ではあり得ないほどきびしい練習でした。でも、そこで集中力を高めることや、仲間との連携や、その他にも大切な事をたくさん学びました。そこで、学校の先生になってバスケットを生徒に教えたいと思い、山口大学へ進学しました。

バスケット一色の中でのストレート合格!かなり優秀だったのでは?

いえ、先生からは「無理だから志望校を変えなさい」といわれたのですが、人の意見で動くよりも自分の思った方向に行きたかったんです。そのためにはどうしたらいいか…合格に必要な知識/不要な知識を判別して、いらないものは徹底的に省く、ということを意識していました。もともと「近道をする」とか「効率よく進める」ということが好きな性分なんです。まあ合格したのは運が良かったのだと思いますけど(笑)

大学時代はバスケットと教員試験に向けた日々を送られたのですか?

ところがなかなかうまくいかないもので…バスケは学外のクラブチームに所属して活動しました。教員の方は、担当教授とソリが合わなかったり卒業時に募集がほとんどなかったりで、結局教員の道には進みませんでした。山口から離れることは考えていなかったので、山口市のアパレル関係の会社に入社しました。その会社の呉服部門で2年半、訪問営業などを経験したあと、周南のセレクトショップに声をかけていただき、店長としてショップの全体をまかされ、バイイングからセール、顧客管理やネット展開までマネジメントしました。顧客もいい方がついてくださって順調だったのですが、30歳手前くらいで、今後の経営方針やショップのイメージ像についてオーナーとズレが出てきました。これを機にB to CではなくB to B分野も勉強したいと考え、防府のユニフォーム販売会社へ転職しました。

だんだんHARADAに近づいてきましたが、いわゆるライバル会社ですね。

そうですね。その会社では県内で全職種のユニフォーム営業をひとりで担当していました。地域では狭い業界ですから展示会などでHARADAスタッフと顔を合わせる機会があり、中島専務から「ちょっとでてこい」と呼び出されて呑みにいったこともあります。「うちへ来ないか」といわれましたがさすがに入社してすぐは無理ですよね(笑)。

BtoCからBtoBへ、カジュアルウエアからユニフォームへ、違いはありましたか?

全職種のユニフォームを扱う、ということでしたが、知識などを全部網羅してカバーするのは無理だと考え、「病院や介護施設関係に特化する」という戦略を立てました。わからないことはお客様に聞くことで勉強しましたね。そして、営業ではとにかく「着る人の気持ちを考える」ことに重点を置きました。仕事現場だからといって「洋服を着る人間の気持ち」が変わるわけではないんです。個人の服と同様、仕事で着る服も、気持ちよく取り扱いやすく、テンションが上がって楽しくなるものがいいのです。「ユニフォームもファッション」という視点は、自分だから自信を持って営業できたポイントだと思いますし、当時はあまりなかったアプローチだったと思います。

HARADAのコンセプトに近い視点を持っておられたということですね!

40歳手前になって将来展望に疑問を持ち、今度は営業ではなく会社の総務や経理・人事等の事務分野を勉強したいと、その会社を辞めて求職活動をはじめました。そうしますとすぐに、中島専務や権代課長から呼び出しを受け(笑)熱心に入社を勧められましたが、自分としては「営業はもうひととおり勉強した。次に何か自分ではじめるときのために、事務系スキルを身につけたい」という気持ちが強く迷っていました。するとある日、また中島専務からの呼び出しがあり、その店に行きますと、そこには原田社長がおひとりでおられまして…。

いきなり社長面接!原田社長の印象はいかがでしたか?

はじめてお会いしたのですが、第一声が「シゲはさあ、何がしたい?」。いきなり「シゲ」と呼ばれて(笑)もう、グッときました。「営業と事務とのあいだで架け橋になるような機能があれば、企業はもっと効率化できる。そのような仕事をつくりたい」といいましたら、「うちもそこなんだよ!!」とすぐに理解していただけたのです。とにかく、インパクトが強く、パワフルでこちらの話を真剣に聞いてくれる。魅力的で「この人を立てて仕事をする」というイメージが明確に見えました。

運命の出会いで入社されて、「HARADAで実現したいこと」は何でしょう?

入社後1年間はやはり営業担当になりHARADAでの営業を経験しました。そしてこの2月から「管理部」という新部署が立ち上がり、担当課長になりました。ここがまさしく、前から私がやりたかったことができるフィールドだと思っています。営業や事務系の情報共有や統合、全体を大きな目で見る部門として機能したいと考えています。

スキルを活かした花形プレーヤーよりも体制づくりに興味がある?

HARADAに入社して今までと違うのは、「ひとりじゃない」ということです。今までの仕事のほとんどは、ひとりでがんばって成果を上げてお客様に喜んでいただく、という世界でした。しかし、HARADAでは組織として動けますし、仲間がたくさんいます。自分が営業でひとりの成績になるよりも、組織を良くする仕事で10人のパフォーマンスが向上して、結果営業マン10人の成績向上になれば、その方が効率いいじゃないですか。

効率!たしかに大きな視点で見ると、組織で動くことの利点はそこにありますね。

昔から「効率」好きですね(笑)。印象がビジネスライクに聞こえますが、要するに「自分の力で最大限のしあわせが実現する最良の道」を考えているように思います。そこに成長があるんだと思うのです。HARADAにきて、それを考える事ができるようになったことが、自分の新しいステップですし、成長だと思っています。

ではプライベートのご質問を。ご趣味はバスケットの他に何でしょうか?

バスケット、サーフィン、スノボ、ロードバイク…何でもやっていますね。家事も好きです。掃除もきっちり、床面積を広くしてスムーズに掃除機をかけられるように物を片付けて手際よく進めますし、料理も好きですね。平日は妻が料理をしていますが、休日は僕が料理当番です。

お料理も出来上がったときは”効率よく”片付いているのでは?

それは当然です。料理の途中でどんどん片付けて、盛りつけた瞬間、食べ終わった食器しか片付けるものがない状態にしておきます。

料理人の鑑! 恒例の質問です。ご自分を動物にたとえると何でしょうか?

なぜか小さいころからトラと呼ばれていました。自分ではわからないのですが(笑)

HARADAで扱われる商品やユニフォームにたとえると何でしょうか?

「腰痛ベルト」です。実は私は腰痛持ちなので、腰痛ベルトにはよくお世話になっています。そして普段から「備え」としていつも持ち歩いているんです。悪くなったらささえる、だけではなく「予防」「防止」の力もあります。腰痛ベルトは人間の「芯」である腰を助ける、大きな力に。私もHARADAの「芯」を助ける力になれればと思います。



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