お問い合わせ
0835-38-0697

スタッフの日々の活動についてお伝えするトピックスです。

ワークフィッター下関店 松本 瞳

仲間とお客さまにささえられて 変わった私が一番好きになれた

名前のとおり大きな瞳が印象的な松本さん、ご出身はどちらですか?

広島生まれ広島育ちです。三姉妹のまんなかで、実はとても箱入り娘だったのです。そのなかでちょっと反抗してワガママ言っても結局は親に従う、そのような子供でした。中学校からは私立の女子校、そして女子大へ行きましたから、10年間男性が身近にいない世界でしたね。

女子ばっかりの花園の世界ですね!楽しかったですか?

うーん、楽しかったですが、自分が心からやりたいことをやっていた、という感じではなかったですね。部活も中高6年間茶道部でしたが、茶道が好きと言うより「茶菓子が好き」だったので(笑)授業中にこっそり自分の世界の絵を描いたりしていましたね。動物とか、女の子とか…洋服や髪型なども自分の好きなように自由にして…。

女子大では将来像や夢はみつかりましたか?

大学は,小学校の先生になる教育学科に入ったのですが、それも何となく家族や周囲のアドバイスで選んでいました。だから大学3年の時に採用試験の面接練習で「志望動機」を問われたとき、愕然としました。周りの友人たちは、本当に自分の夢で「小学校の先生なりたい」という意志がしっかりしていて、キラキラしているんです。でも、自分にはそれがなくて。これじゃいけない、先生にならなきゃいけないのか? と自分に疑問を持ち始めました。8月に教員採用試験に落ちて、学校の先生も両親も祖母もみんな「3月募集の臨時採用試験をうけたら」と言いました。でも私は、「これはチャンスだ!」と思ったんです。「就活をしよう」と!

「就活」は自分の選択で行動をするという「チャンス」だったのですね

もう「今飛び出ないと一生変わらない!」と思いました。でもどうすればいいのかまったくわからないので、先生に履歴書の書き方から教わりました。そして、「就活」の名前をかりてこの機会にひとり旅をしよう、と思いまして(笑)高松と山口で面接を探していきました。そこでHARADAを受けたのです。

自分探しの旅で最初に出会ったHARADAの印象はいかがでしたか?

私は「伝説の5次面接」の年で、100人ぐらいの会場でのグループワークから始まって…ホテルに泊まり込んで行った合宿ワークショップなど、とてもハードでした(笑)。同期のメンバーともうどれだけ泣いたか(笑)でも、そこですでにHARADAにハマリはじめた自分が居ました(笑)

ハマリはじめた! でも広島のご両親の説得は大変だったのでは…

そうなんです、「ここでやっていきたい、ここならがんばれる」という気持ちが強くなって、内定をいただいていた広島の会社をお断りしてしまいました。もう背水の陣をひいたところ、HARADAの最終課題が「家族のエールメッセージをもらってくる」。うちではもう、「なぜ山口なんだ」「なぜHARADAなんだ」「家にいればいい生活なのに」と全員大反対(笑)しかし自分を貫いてがんばって、最終的には「そこまでいうなら」と認めてもらえました。

HARADAは自立の大きな一歩をめざめさせたのですね

自分を変えたかったんだと思います。小さいころから、なんでも家族や姉が守ってくれていて、自分に自信がありませんでした。でも、自分で自分をはじめる、という気持ちになって、友人から「今のあなたはキラキラしているよ」と言われたのが、本当に嬉しかったです。

HARADAの魅力、「ここならがんばれる」と感じた理由はどこにあるのでしょう?

「みんなが他人事じゃない」ということだと思います。「頼る」のでも「まもる」のでも「かぶる」のでもない、「一緒に走る」という距離感でしょうか。「この人たちと一緒なら、がんばれる」と思ったんです。それまでは学校でも就活でもあまり本音が言えない…みんな「人それぞれじゃない」「所詮ライバルだから」という雰囲気で、自分を発することができませんでした。でも、HARADAのなかでは閉じこもる自分から飛び出して、いっしょに仕事を作り上げる、という新たな自分が見えたのです。

入社していかがでしたか? 希望に満ちたスタートダッシュでしたか?

ところが!!やはり、現実は大変でした。予想以上に、生活も仕事も、何もできない自分がいました。普通のことができない、ということすらもわからない状態で。周南のショップ配属になって半年くらい、本当に凹みました。

具体的にはどのようなことで凹んだのですか?

先輩がひとり専任で教育係でついてくださったのですが、検品を忘れる、チェック漏れをする、後始末ができない…1言われて10わかるどころか10言われないと10もわからない、という状態で、しまいには「何回いってもわからないね…」と呆れられてしまいました。それでも「私だって頑張ってやっているのに…」と。今から思うと甘えていましたね。 でもこのままではいけない、と思って、下関ショップオープンのヘルプに志願して、大きな声を思いっきり出して接客をやってみたのです。そこで、やっと自分で飛び込むことでメンバーが受け入れてくれた気がしました。そこから下関ショップに配属なりました。

自分で飛び込んで自分を変えていくことが大切なのですね

でもなかなか、簡単には自分って変わりませんね。下関ショップでは、パートやアルバイトの方も多くて、社員としての役割を果たし潤滑なチームを作ることが私にはとても難しかった。そのうち、お客さまの前で暗い顔になるなど悪循環となって…ついに社長に呼ばれ「広島に帰るか」とまで言われました。

それは!どん底という感じでしょうか…

反対を押し切って山口に来たこともあり、広島に帰るわけには行きません。本当に自分が根本的に変わろうと、スタッフに謝り、仕事も生活も、すべて自分の行動を変えることをはじめました。でも私ひとりでできたのではありません。安永マネージャーが面談で、「おまえも、どうしたらいいかわからずに、もがいとったんやな。一緒に課題を見てみよう」と取り組んでくださり、まず毎日の業務日報を提出してそれをみてもらい、月2回面談で課題をチェックして、指導していただきました。

毎日地道に自分と向き合うのは、努力のいることですね…

何度も辞めようかと思いました。でも、ここが1番つらいときだ、これを乗り越えたら大丈夫、と言い聞かせました。そんなとき、常連のお客さまから「まけちゃだめだよ」といわれた言葉は、とても大きな支えになりました。仲間の励ましも。「つらいときでも笑顔で頑張る人のほうが応援したくなるんだよ」と言われて、はっと気がつきました。みんなちゃんとみていてくれている、これがHARADAなんですね。

自分が変わっていったことで周囲は変わりましたか?

自分が苦手だったこと「片付け」「自己管理」を心がけて行動が変わることによって、まわりの人が認めてくれるようになりました。そして、明らかに以前の自分よりも今の自分が好きなんです。間違いじゃなかった、と思いました。

今のショップの仕事でいちばんのやりがいは何でしょう?

お客さまです。私は、HARADAのお店がお客さまにとって、商品購入以外でも、「何もなくてもちょっと話しに来る場所」「元気になる場所」というお店でありたいと思っています。それが私がここにいる目的というか、私の拠り所です。下関店スタッフでは4年間勤務は1番長いので、「やめないでね」とよく言われるんですけど(笑)

これからの仕事の目標や、HARADAでの夢などはありますか?

個人としてよりも、店全体として「あたりまえのことをあたりまえにする」そんな集団になることが目標です。自分もチームの一員として、提案したり行動したりすることでいい方向にもっていきたい。チームも自分も元気、それを極めたいです(笑)

では恒例の質問です。お休みは何をされていますか?

食べることがとても好きなので、美味しそうなメニューを自分で作る! です。 今はまっているのは、トマトとレモンを少し入れたお味噌汁です。アオサをいれると美味しいですよ〜!!

自分を動物にたとえるとなんでしょう?

よく言われるのは、うさぎとかリスとかの小動物です(笑)

最後の質問です、HARADAで扱われる商品やユニフォームにたとえると何でしょうか?

そうですね…なにかふっと「気の抜ける」ものがいいな。仕事現場に直にかかわらなくても、ふっと心なごませて幸せな気分になる雑貨や小物がいいですね……ということで、キーホルダーにします!(笑)。



過去の記事