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スタッフの日々の活動についてお伝えするトピックスです。

周南営業課 課長代理 福永 祐二

生きる場所から「ぶれない」ワークライフバランスのリードオフマン。

福永さんの名刺にはあるメッセージが書かれています。

『少し耳の聞こえが悪くご迷惑をおかけすることもありますが仕事の期待にはしっかりとお応えします!』

私は1985年、大阪の南部・住吉区長居で生まれ育ちました。4歳のころ、耳に水が溜まりその手術後がよくなくて、聴力が弱くなりました。親はすぐに、ろうあ教室を申し込み、午前中普通の保育園、午後からその教室で聞こえとコミュニケーションの訓練をしました。 そのように早い対応や専門サポートの方々の適切であたたかな教育のおかげで、小学校からは普通のクラスに上がりました。 大阪の住吉という人情味あふれた地域、という環境もあったように思います。友だちや近所の人にもささえられました。近所も学校もみんな家族同然で、自然に、聞こえやすく話してくれました。それにただでさえみんな声が大きいので、不自由を全然感じないです(笑) 先天性ではないですから言葉は完全に話せますので、特に酷く辛い思いをするということもなく元気な小学校時代をすごしました。

大阪下町の温かい気質がよかったのですね?どんな青春時代でしたか?

中学入学時で身長が160センチという恵まれた体格だったので、中学では陸上部の砲丸投げの選手でした。大阪で5位という成績でしたよ! ちなみに3つ上の兄は円盤投げの選手で(笑)。大阪の子供らしい、あかるくておもろくて強い男子でした。 高校には、将来パソコンで仕事をやっていこうと思い、商業科のある学校進みました。簿記がとても得意になりました。

大阪の下町と山口上関町の世界はまったく違いますが、どこに強い想いが?

大阪でもとても楽しく暮らせていましたが、4歳のころから祖父と一緒に向かった海釣りの世界は特別でした。実は、私は父を早くに亡くしていまして母は女手一つで私たち兄弟を育ててくれたのですが、そんな中、大きく受け止めてくれて見守ってくれていた祖父母の大きさは、いくら感謝してもしきれないくらい、大きな存在なのです。私にとっては帰るべきふるさとの、その祖父母に恩を返したい…それには、僕が祖父母の近くで暮らして面倒をみる。そう考えるようになったのです。

山口の上関町の自然環境も、心の安らぎの一部になっていたのですね。

だから、私の小学校の時の将来の夢は「漁師」でした!

漁師はともかく(笑)山口での生活を実現するために就活されたのですね?

そうです。就活は私たちの時代は大学3年10月からの活動だったのですが、山口での合同説明会を調べて出席するのと、万が一のために関西の会社もまわりまして、3月4月はその両方のスケジュール管理が大変でした。 体力に自信のある私でも、さすがに心身共にきつくなってきまして、山口での就職か、大阪での就職かの選択をしようと、母に相談しました。すると、母が「自分のやりたいようにやりなさい」とのことばをくれました。 それで、自分の中でも「山口で就職する」決心がついたのです。

HARADAとの出会いはどのようなものでしたか?

経理の勉強をしていましたのでその分野を希望でしたが、それよりも「上関に近い」「新幹線の駅に近い」事が大きな条件でした。祖父母の家へ週末に帰れる、大阪の母に何かあってもすぐ新幹線に乗れる環境がベストでした。そういう意味でHARADAの周南はベストポイントでした。 2007年の5月面接が始まって、6月に社長面接を受けました。社長面接では他社とは違う「熱」を強く感じ「何かすごいな!」と引き込まれました。ある県内他社では「君は遊びに来たのか」といわれるほど、このような働き方や考え方に理解をもらえませんでしたが、HARADAは自分の想いを汲んでもらえたように思います。「仕事は甘いものではないよ」とは釘を刺されましたが(笑)

大阪から山口へのIターン。入社してから苦労した点などはありますか?

上関町が田舎なのはわかっているのですが、周南は、いざ生活圏となるとさすがに大阪とは勝手が違いました。大阪でもミナミの実家辺りは坂がないので、通学の15㎞は自転車で通っていたのです。その調子で、通勤や周南の街中など自転車で軽く回るつもりでサイクルショップを探したのですが、車社会のここでは自転車店がない! やっとホームセンターで変速のついていない自転車を買ったら、周南は坂道がきつくてもう大変! 社会人としての生活も初めてでしたから、生活イメージも一変しました。海の近くにアパートを借りて、9時から6時まで仕事して、終わったら夜釣りができるかな〜などとちらっと夢見ていましたが、全くの絵に描いた餅でしたね(笑)

経理志望でしたが営業配属になられました。嬉しかったこと苦労したことは?

嬉しかったのは、営業として新規のお客さまを獲得できた時ですね。夏に熱中症対策グッズを企画提案して、喜ばれたことも嬉しかった。 本当は、新規獲得の飛び込み営業は、最初は車からでられないほど怖かったです。何を話したらいいか全くわからない。これが仕事なんだ、と実感しました。 そこで毎日、日報に行動を細かく打ち込んで中島専務や下関営業所の山本課長に相談をすることを続けました。そうですね、3か月くらいたって、落ち着いて全体が見えるようになり、受け答えもできるようになりました。

お話しをうかがっていると、とても営業が苦手だったようには見えません!

本当はプレゼンも得意な方ではなかったのです。でも、上司先輩の細やかな指導と、あとはお客さまの言葉があったからこそです。 「笑顔がイイね。担当が福永さんでよかった」「その笑顔で買っちゃうよ」といわれることもあって、喜ばれることが何よりも次の力になりました。

福永さんが営業で一番大切にしていることはなんでしょうか?

「ていねいにやる」ということです。アポイントでのご挨拶、見積もり、ご提案、資料送付…ひとつひとつ要所要所で、そのつど心をこめること。例えば荷物を送った後に必ず電話で確認を入れます。確認のひと手間は、仕事を確実にしますし、先方の信頼感の根拠になります。 あと、お礼の手紙ですが、字は下手ですが手書きで気持ちを添えるようにしています。最初は気後れしていたのですが、その気持ちを乗り越えて手で書いた文字には、書いた人の気持ちが伝わる力か宿っていると思います。 今のお客さまが別のお客さまを紹介してくださるのは、このような自分の姿勢を理解してくださったのだと感じ、本当にありがたいと思います。

今後の仕事、そしてワークライフバランスはどのようなものにしたいですか?

今、岩国エリアを担当して新規開拓をしています。岩国エリアはかなり広くて未開拓な部分も多いので、しっかりと会社に貢献できるようにしたいと思います。ワークライフバランスとしては、現在、祖父は亡くなり祖母が一人で上関に住んでいます。今後どのように祖母の生活を支えていくか。祖母は「施設に入ってもいいよ」といっていますが、それも含めての支援体制が必要になります。HARADAは就業時間や勤務体系など比較的柔軟な理解がある会社ですが、自分も会社に必要な人間となって、ワークライフバランスの理想が実現できるようにがんばりたいと思います。

プライベートの質問です。釣り以外に(笑)休日はなにをされていますか?

釣り以外はですね…(笑)入社しまして社内結婚をしました。今、子供が1歳になりますので、子供との関わりでも、私が釣ってきた魚を家族で食べることができるようになりました。健康にも家計にも自分にもハッピーです! 上関にもなるべく顔を出すようにしています。祖母は勿論ですが、大阪の母も喜んでいまして、この選択は間違っていなかったと思っています。

ご自分を動物にたとえると何でしょう?

動物ではなくて、あえて、「魚」で! サケか、サメですね。 サケとサメは、鼻がいいのです。サケがふるさとに帰ってくるのも、サメが遠くの獲物を感知するのも、嗅覚が突出していいらしいからだそうです。実は私は嗅覚がとても敏感なので。

では最後の質問です、ご自分をHARADAの商品にたとえると何でしょう?

「タオル」だと思います。工場で汗を拭う、お風呂で身体を拭く、生活に欠かせない存在です。なおかつノベルティグッズにも応援グッズにも美術品にもなります。汚れたら拭く、優しくつつむ…人を助けて癒す包容力もあります。そんな存在になれればいいですね。



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