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スタッフの日々の活動についてお伝えするトピックスです。

営業部 営業1課 淺井 祐三

「できなかった」からこそ、相手の不安や喜びがわかる。ニュートラルな空気が生む信頼。

とてもクールな印象の浅井さん。まず、ご出身はどちらですか?

愛知県の豊川市で高校まで過ごしました。人口的に山口と同じくらいの地方です。大学で下関に来まして、就職はまた愛知に戻り、16年間飲食業界にいました。2年前に山口県に定住することになり、HARADAに入社しました。

山口とのご縁があったのですね。小さいころの夢などはありましたか?

子供のころ、僕は集中力が続かなくて勉強が苦手で、いたずらばかりしていました。たびたび校内放送で名前を呼ばれて先生に叱られる、そういう面では校内トップクラスでしたね(笑) 中学生になってから、友人とバンドをやろうという話になって、ドラムがいなかったので担当しました。ドラムってあまりやる人がいなかったので、いくつものバンドを掛け持ちしてライブをやっていました。海が近かったのでサーフィンもやっていました。中学校〜高校時代はそんな感じで、結構女の子にモテることは何でもやりました(笑)サーフィンは豊橋の社会人時代もやっていました。

音楽活動にサーフィン、充実した青春だったのでしょうね

充実といえばそうなのかな。自分の意志でチャレンジするのではなくて、友だちの誘いでやってみて楽しいから続けていたといいますか。将来の夢とか何になりたいとかいうよりも、その日その時を楽しく過ごしていましたね。勉強もできなくて自分にも自信が無くて、自分に期待しないというか醒めていたように思います。

下関の大学生活は、その醒めた感じに変化はあったのですか?

大学へ行くと、本当に自由で「自分でやりたいことを見つけろ」という世界になりまして、そうなると本当にますます自分で何をしていいかわからなくなって。正直つらかったです。今の奥さんと出会ったことは大きかったですが。

では淺井さんの転機というのは、社会人になったところにあったのでしょうか。

そうですね、卒業して地元近くのファミリーレストランのチェーン企業に入社しました。そこで最初の上司に、欠点を徹底的にたたき直されました。もの凄く怖くて「教育」というよりも「更正」というような(笑)でも、そこで感じたのはその上司や先輩達の「仕事に全体重がかかっている」真剣さでした。ただ厳しいのではなくて「生活がかかっている」という覚悟がすごかった。これは本気出さないと、と思いがんばっていると、要領が悪いながらも少しずついろいろなことができるようになっていった。同期の中で一番成長できたのです。そこで、「できるようになることって、こんなにうれしいんだ」と気付きました。「できるようにしてあげること以上に、愛情表現はない」という言葉は、私の基本となっています。

学生時代の「できない自分」の殻を破って、誕生したのですね?

そうですね、「教えること」が好きになりました。会社がフランチャイズ店を増加拡大していく方針をとり、新店舗の店長トレーナーという職種になったのです。勉強ができなかった私は「できない」「わからない」という人の理由や気持ちがよくわかるんです。初めての人は、不安が大きくてそのまま進んでも余計に混乱して頭に入らなくなります。できるようになるには、細かな作業を確認し、不安を取り除くことが大切。また、工程をクリアしたら自信として定着させる。このような細かなマニュアルと指導方法を仲間と構築しました。あ、これは自分はこの仕事に向いている、と感じました。

その後管理職までなられたということですが、そこからどうしてHARADAへ?

エリアマネージャーになってから「スタッフがみんな一緒に仕事をする」ことの重要さと楽しさを構築できるように、心がけていました。50人スタッフが働く店舗でも、職場の満足感は、人間関係が何よりも大きいのです。 また、企画開発部門では、お店の業態設計、商品ラインナップからメニューやフライヤーのデザインまで関わり、原価設定や広告制作など、様々な事を学びました。 そして、ちょうど2年前、39歳の時に妻の出身地の山口に帰る決心をしました。 会社の環境が少し変わったこと、自分も40歳になる前だったこと、昔からいずれは山口に帰って妻の両親と同居するライフプランだったことなど、「このタイミングを逃したら思い切れない」と考え、次の就職先も決めずに山口に移ってきたんです。

思い切った人生の転機ですね。HARADAとの出会いはどのようにして?

飲食業キャリアが長かったですが、同業種に就職すると以前と比較してやりにくいことも多いだろうから、全くの別分野を考えていました。 そのなかで、妻が安永さんと同級生だったこともあって、引っ越ししてきてすぐ連絡が取れて、最初に木村部長、権代課長との面接になりました。

HARADAの第一印象はいかがでしたか?

非常に印象に残ったのは「物腰の柔らかさ」「スマートさ」「クレバーさ」でした。作業服・ユニフォーム業界は知らない世界ではなかったのですが、それよりもっと「知的で楽しい」印象だったのです。そこがとても魅力的でした。 そのあと、中嶋専務、社長面接がありまして、成長していく勢いと熱意を感じ、入社を決めました。

入社されてからの営業職は新たなチャレンジですが、苦労はありますか?

6月で2年になりますが、まだ自分ならではのやり方を日々勉強している状態だと思います。今までの知識や経験を活かしていますが、まだ貯金をつかっている感じ(笑)これからはもっと「自分で考える」営業を作り上げていきたいですね。なかなかうまくいかないことともありましたが、そこは年の功でのりきって(笑)。でも20代の私では絶対できないと思いますので、無駄な経験というものはない、と思います。

反対に、営業でうれしかったことやよかったことは?

お客さまのご紹介をいただけたことですね。やはりこれは、いい営業をしていなければ他のお客さまにご紹介などいただけないと思うので。信頼していただいたのだなあ、と思うと本当に嬉しいです。

飲食業でもユニフォームは大きなアイテム。淺井さん独自の視点があるのでは?

そうですね、そういう意味で言えば、私はユニフォームというのは機能性ももちろんのことですが、「見栄えをよくする」ことがとても大きな役割だと思っています。それは自分たちのセルフイメージを作ると共に、お客さまへのお店からのメッセージとなる。「わかりあえる」部分なのです。その部分は、大切にお客様に提案したいですね。

入社後、HARADAはどんな会社でしたか?

「人のいい人が働いている集団」です。それぞれ個性的で色々なタイプの人がいる。それが居心地がいいんです。また、ニュートラルなところがあって遊びがある。その部分は会社として潜在的パワーを感じますし、ますます大きくなっていく可能性を感じています。

ニュートラルで遊びがあるというのは、伸びしろがあるということ?

というよりも、組織全部が機能的で効率アップだけを考えるような設計をしない方が、私はいいかなとも思っているんです。創造的な仕事や柔軟な対応力を考えると、車で言う「あそび」の部分があるのはいいのではないかなと。 ただし、企業が成長するにはやはり機能的効率的な部分も大きく必要なので、今後はそのメリハリがHARADAのテーマになるような気がします。

教育や指導トレーナーを長くやってこられた視点ですね

教育、インフラ、というのは効果測定を短期スパンではできない部分があるのではないでしょうか。企業として今はそのような考え方が主流かもしれませんが、人や組織というのは、すぐに判断ができないことも多いんです。だから、グレーの部分を残しておいた方が、柔軟性や多様性を保ちつつ生きていける。このような長期的な目も必要なのではと思っています。

では今後HARADAでやってみたい仕事は?

そうですね、やはりそのような大きな視野を持って、広報活動などに関われたら面白そうだなと思っています。あとは人材教育や店舗での教育などの分野でしょうか。 私はあまり自分からリーダーシップを取ったりプレイヤーになったり、というのは向いていないんです。それよりも、みんなが働く環境や組織を考えたり援護射撃で支えたり、それをチームでやっていきたいなと。そういう分野に、とても喜びを感じるんです(笑)

プライベートの質問です。休日はどのように過ごしていますか?

今はサーフィンはなかなかできなくて。子供が10歳と4歳なので、休日はほぼ、子供と遊んでいます。公園へ行ったり、キャンプグッズで野外ご飯とかが楽しいです。

では、ご自分を動物にたとえるとなんでしょうか?

犬。田舎によくいるような、畑のよこで首輪つけてロープでつながれている感じの、昭和の風景にあるような犬のイメージです。

では最後の質問です。ご自分をHARADAの商品にたとえるとなんでしょうか?

これ難しい質問ですよね! 今話題の「オーダーユニフォーム」にします。 ニーズに合わせて様々な仕様がオーダー可能でピタッとはまる、役に立つ! 自分は「枠」があればそこにピタッとはまって役に立つ、そんな風になりたいですね。



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