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スタッフの日々の活動についてお伝えするトピックスです。

企画課 課長 木村裕光

HARADAコンセプトをわかりやすく広報します

いつもダンディな木村さん、子供時代からオシャレだったのでしょうか?

1963年生まれで、幼少期は岩国で過ごし、卒業してから広島に出て社会人となりました。岩国というのは米軍基地のある街です。米軍基地の入口近くに「ハウス」という教会のような米軍海兵と地元の人との交流の場がありました。高校時代まで、よく友達と遊びに行っては、コーヒーを飲んだり海兵さんと話をしたり、FENを聴いたりして遊んでいましたね。食べ物でもステーキやビールやコーラが、基地の中はとにかく安くてスケールが桁違い。「やっぱり向こうって凄いな」という憧れみたいなものはありましたね。

広島での社会人スタートはどのようなものだったのでしょうか?

広島という大きな街に出て、最初は車関係の仕事、そのあとアパレルショップの販売になりました。その会社がデパートにテナントを出すことになり、私が販売担当で働いていました。半年後ぐらいにその百貨店の部長から声をかけていただき、広島の老舗百貨店に入社することになりました。そこで25年勤務しました。

ヘッドハンティングですね!? 販売に向いていたのでしょうか?

確かに売上がぐんと伸びて、そしてそれをキープできていたので声がかかったらしいです。しかし実は、営業とかお客さま相手の販売というのは、得意ではないです。

え?!得意ではないのにどうして売上がよかったのでしょう?

販売が得意な人は、10人お客さまが来られたら必ず5人には買っていただける技術というような感じで、普通にしていてもヒットが出せるんです。でも自分は苦手だからとてもそんな余裕は無い。この方の次のお客さまが買っていただけるとは限らない。とにかく、来られるお客さまおひとりおひとりに一生懸命に勧めるわけです。その一生懸命さが結果になった、のだと思いますね。

百貨店に入社しても順調なお仕事だったのでしょうか?

百貨店に入社したのが25歳ぐらいで、紳士服分野一筋でしたね。広島の老舗百貨店で、社員はほとんど新卒の生え抜きエリートでした。その中で、中途採用の私は随分異質な存在でした。お客さまも幅広い層や世界の方が来られます。自分の勉強不足や知識の狭さを痛感する毎日でした。そこはやっぱり、情けなく辛かった。とにかく本を読む、実際の物を見る、映画を観る、話を聞く…なんでも勉強と思って、熊が水を飲むように何でも吸収しました。「好奇心を持つ」「知る」ということがこんなに世界が広がるのかと、実感した時期です。いろいろな事を勉強できたおかげで、今の自分があるのだと思います。

一生懸命さと勉強熱心さ、両輪が木村さんを動かしていったのですね

当時はバブルの真っ最中でしたが、私のお客さまは戦後広島で一生懸命苦労して成功された方が多く、お祭り騒ぎよりも長いお付き合いをするタイプの方が多く、そういう方には私の一生懸命さが伝わっていたのだと思います。社内でも、上司に「社会人としてのマナーやルール、考え方」などを折々に伝えていただいたように思います。自分が今、次の世代にそのような姿勢やスタンスを伝えようとしているか…猛省しますね。

25年勤務した老舗百貨店を退社してHARADAに転職された理由は?

転機はいろいろな要因がありますね…大きなきっかけは、2011年の震災の年の5月、お店で開かれた父の日向けのイベントで『For Workers』というブランドに出会ったことです。「働く人をスーパースターにする」農家のツナギをはじめ「作業着」を一変させるコンセプトに衝撃を受けました。私もこのような仕事がしたい、作業服をしたい!!と決意して、ネットで会社を探し、HARADAに出会って応募しました。…自分が心からやりたい仕事をはじめる、その転機だったんですね。広島から山口に単身赴任になるので、私の思いを理解し転職を快く了承してくれた妻や子ども達、親など家族には本当に感謝しています。

高級紳士服から作業服へ、真逆の世界…?

高級フレンチでもカフェのコーヒー一杯でも、洋服でも、お客さまにとって「お金を出す」のは同じ。シーンが違うだけで買う人に上下はない。「お客さまが輝く服」でありたい想いは同じです。私のうちは、母が必死に働いて私たち兄弟を育ててくれました。大変なのにあたたかいお弁当をいつも作ってくれた、私にはその「働く人の尊さ」への想いが根底にあるのかもしれません。どのような仕事でも働く人が「この仕事は素晴らしい、誇らしい」と胸を張って言える、子どもたちにそれを伝える、そのような「価値を上げる」仕事をしたいのです。

HARADAでは、すぐに企画広報の仕事につかれたのですか?

入社が2012年で最初の配属はショップでの販売でした。半年後Web販売の担当となり、その後企画や広報の仕事になりました。

印象に残っている仕事はなんでしょうか?

周南店の看板デザインで「働く女性は美しく輝いている」というメッセージ広告にチャレンジしました。明日の社会は女性雇用がなくてはあり得ません。HARADAはそのような意識を持っている、というメッセージを通して、ブランディングに繋げようというものです。新しい試みには、社内からも反発や反対意見が出ました。しかし、これからの広報は「待っている」「言われたことをやる」のではなく、「攻めの姿勢」で行くべきだと考えています。

「攻めの広報」とは、どのようなものなのでしょうか?

私は「翻訳家」という職業がとても好きなのですが、広報の仕事もHARADAのコンセプトや魅力を「多くの人にわかりやすく」積極的に発信していく事だと思うんです。HARADAのユニークさや考えていることを、日頃はあまり接点のない業界以外の人にもわかりやすく「翻訳して」伝える。そうすることで、世の中の意識や価値観が少しずつ変化いけばいいなあと思っています。

では広報として苦労されていることは?

…原田社長の要求レベルが高いことでしょうか(笑)。社長の描く理想や想いを、うまく翻訳してHARADA全員のクリアな意識として共有することも大切です。言葉や考えや行動を整理整頓して、1つの方向へ向き始めている、今はそのような段階だと思いますね。

今後の広報マンとしての目標や心がけなどはありますか?

人にわかりやすく伝えるためには、その後ろに広い知識が必要です。若い頃上司に「知らないことは罪」と教えられました。知らないからできない、というのは自分の成長をそこで止めてしまうことで、甘えです。まだまだ勉強することばかりですので、いい翻訳ができる広報マンになれるように努力、ですね。

ではプラベートな質問です。休日などはどうされていますか?

単身赴任なので掃除と洗濯!(笑) 広島の自宅へは月に1〜2回帰ります。家族みんな仲がいいので?帰るのが楽しみです。あとは、映画も好きですけど、読書も好きですね。塩野七生、島田雅彦、村上龍、中上健次、などの作家が好きです。

最後の質問です。まず、ご自分を動物にたとえると何でしょうか?

なんでしょうねえ(笑)自分にたとえるのはわかりませんが、猫かな。うちにもマメという猫を飼っています。

ではご自分を「ユニフォーム」「HARADAの商品」にたとえたら何でしょうか?

…インナーの「肌着」、それも「いい肌着」でありたいなあ、と思います。私は、人前に出るのは本当に苦手で、いつも後ろでしっかり支えるような、匿名的なポジションが好きなんですよ。だから、見えないところを整えつつ、触りごごちやフィット感が極上で、機能的にも優れていて、生活が気持ちよくなる役目を果たす…そんな存在になりたいですね。



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